シオニズムをめぐる論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:10 UTC 版)
「国際婦人年」の記事における「シオニズムをめぐる論争」の解説
1975年会議のもうひとつの注目点として、国連が提唱するフォーラムで初めて「シオニズムは人種主義」動議が可決され、翌11月の1975年国連総会決議3379(英語)の下地が整う。 シオニズムを人種差別と同一視する声明は、当初、1985年開催の「国連女性の10年」(ナイロビ)の最終会議に提出する報告書案の付録にも含まれていた。しかしIt Takes a Dream: The Story of Hadassah (1997年) でマーリン・レビンが述べているように、「バーニス(・タンネンバウム Bernice Tannenbaum)が国連決議を公に否認するよう求めると、ロナルド・レーガン(アメリカ大統領)はシオニズムは人種差別と同等決議が最終会議の宣言に盛り込まれた場合、アメリカ代表団をナイロビから撤退させると約束する」。 タンネンバウムは重ねて米国上院に働きかけ、会議の決議を非難し、撤回を要求させる。さらに自ら上院決議案件としてケニアに飛んでおり、現地ではレーガン大統領の娘でアメリカ代表団長であったモーリーン・レーガン(英語)が大統領の約束を繰り返し、最終会議に決議が含まれた場合は会議から撤退すると表明した。ケニアの妥協案仲介でシオニズム動議を含まない最終会議報告書が提出される。
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