ザスバッハの遭遇戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:00 UTC 版)
「ザスバッハの戦い」の記事における「ザスバッハの遭遇戦」の解説
テュレンヌは帝国軍を追ったが、この時点では両軍とも消耗しており、約2万5千人まで減っていた。7月27日の朝、フランス軍はザスバッハ村で陣地を敷いていた帝国軍を発見した。帝国軍の陣地はザスバッハ川の後ろ、山のふもとに位置していた。帝国軍の荷物は村の先にあるマツの林へ移動していた。モンテクッコリは森を掩護として使い、ザスバッハの村と右翼にある古い城塞にマスケット銃隊を配置した。彼がこの陣形をとった理由はカプラーラとの合流を待っていたためであったが、カプラーラはフランス軍に阻まれて遠回りをしなければならなかったため遅れていた。 フランス軍はザスバッハ川の南で戦列を形成、歩兵を前に、騎兵を後ろに配置した。テュレンヌは砲兵中将のサンティレール領主ピエール・ド・モルメ(Pierre de Mormez)に命じて大砲の配置を決めさせた。フランス軍の志願兵が前進して近くの家屋に射撃したほか、フランス軍が大砲8門で教会と城塞を砲撃した。村の一部が炎上したが、帝国軍が墓地と教会の庭で野戦用の防御工事を施したためフランス軍の砲撃は効果が薄かった。帝国軍の砲兵も砲撃を開始、砲撃戦となった。テュレンヌはフランス王ルイ14世に帝国軍が撤退を開始したらそれを攻撃すると報せを送った。彼は成功を確信したか将軍たちと状況を話し合った。このとき、フランス軍は帝国軍の部隊が多くの動きをしていたが、これは帝国軍の不決断を示しており、その撤退が近いように見えた。
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