ザカリー・テイラーの応援(1848年)
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「エイブラハム・リンカーンの前半生」の記事における「ザカリー・テイラーの応援(1848年)」の解説
1848年のアメリカ合衆国大統領選挙で、リンカーンは対メキシコ戦争の英雄であるザカリー・テイラーを、党の指名選挙と大統領の一般選挙の双方で支援した。リンカーンはクレイを推すことを止め、テイラーは当選可能な唯一のホイッグ党員だと主張した。リンカーンはテイラーを推す代議員として、フィラデルフィアで開催されたホイッグ党全国大会に出席した。テイラーが首尾良く大統領候補に指名されると、議論の多い問題は連邦議会に解決を任せて、テイラーの個人的な特質を強調する選挙運動を行うよう勧めた。連邦議会の会期中は下院の議場でテイラーのために演説し、8月に休会に入るとワシントンに残って選挙運動を行う議会ホイッグ党執行委員会を助けた。9月、リンカーンはボストンやその他ニューイングランドのあちこちで選挙演説を行った。1844年の大統領選挙を思い出し、支援してくれる可能性のある自由土地派有権者に、ホイッグ党は同じように奴隷制に反対しているのであり、唯一の問題は奴隷制の拡張に反対してどのようにすれば最も効果的に投票を行えるかを訴えた。彼らの候補者であるマーティン・ヴァン・ビューレン元大統領に投票すれば反奴隷制の票を分けることになり、民主党候補者のルイス・カスを当選させてしまうことになると訴えた。 テイラーが大統領に当選し、その政権では恐らく米墨戦争の間のテイラーをリンカーンが批判したことを思い出して、遠隔の地であるオレゴン準州の知事職しかリンカーンに提案できなかった。リンカーンはこれを受け入れれば、急成長しているイリノイ州での経歴が終わりになると判断して、それを辞退した。リンカーンはその代わりにスプリングフィールドに戻り、法廷弁護士として生活を立てて行くことにそのエネルギーの大半を振り向けた。そのために郡から郡へ馬の背で広範に旅を続けることになった。
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