サンタンヌの開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 14:45 UTC 版)
イル・ロワイヤル中部東海岸にあるサンタンヌ(Sainte Anne、現在のセント・アン)のフランス人開拓地は1629年に設立され、サンタンヌ砦と名付けられて1641年まで続いた。1651年から1659年までこの場所に毛皮貿易基地が造られたが、注意がカナダのセントローレンス川と五大湖の植民地(この植民地は現在のケベック州、オンタリオ州、オハイオ州、インディアナ州とイリノイ州となった地域の部分を構成した)やフランス領ルイジアナ(現在のミシシッピ川流域とテキサス州の一部)、さらにアカディア本土の小さな農業開拓地に向けられたために、イル・ロワイヤルはフランスの支配下では活気が薄れた。 1713年のユトレヒト条約でイギリスにアカディアの一部(ノバスコシア半島)とニューファンドランド島の支配権が渡ったが、フランスはイル・ロワイヤル、イル・サン・ジャン(Île Saint Jean、現在のプリンスエドワード島)およびヌーヴェルフランスの支配は維持した。イル・ロワイヤルは大西洋岸に直接面しているフランスの唯一の領土であり(ニューファンドランドからフロリダまでイギリス支配となっていた)、ニューファンドランドのグランドバンクという重要な魚場に戦略的に近いだけでなく、セントローレンス湾の入り口を守るという位置づけでもあった。
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