サリット時代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 18:51 UTC 版)
サリット・タナラットが総理大臣となるとピブーンソンクラーム以上の独裁ぶりを発揮し議会を廃止し、激しい思想弾圧を行った。これにより作家は再び暗い時代を迎えることになった反政府的な著作を行っていたナーイピーは密林に逃げラオスで死亡。同じく反政府系のチット・プーミサックはイーサーンの密林に逃げ込み政府軍に射殺された。シーブーラパーも共産主義者のレッテルを貼られ北京に亡命し客死した。この時ルワン・ウィチットワータカーンに代表されるような愛国作家以外はことごとく沈黙を守った。 その後70年代初頭にはサリット政権を引き継いだタノーム政権にかげりがルンマイ(新世代)と呼ばれる若手の鋭い社会批判を特徴とする作家達が誕生した。これらにはスチャート・サワッシー、シーダーオルアン、ラーオカムホームなどがいる。このルンマイは日本の小林多喜二などのプロレタリア文学や、先行するナーイピー、チット・プーミサック、セーニー・サオワポンなどの作家の影響も受けている。これらルンマイは現行の社会に対して満足を覚えていた保守派の作家と激しく対立した。保守派の代表格であるトムヤンティーもルンマイの攻撃対象となった。しかし1976年の軍事政権の巻き返しにおいて彼らは密林に逃げ込むか、外国に逃亡するかの選択を迫られた。 またこれとは別に70年代前後に『タイからの手紙』のボータン、『その名はカーン』などのスワンニー・スコンターなどの作家も登場した。 1980年代後半以後は仏教書がブームとなり、『法句経』(ダンマパダ)の現代タイ語訳などが出版された
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