サウンド・システムの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:17 UTC 版)
詳細は「サウンド・システム」を参照 ジャマイカではDJが前述のような音楽をサウンド・システムと呼ばれる、移動式で巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイし、路上や屋内で楽むことが1940年代以降ポピュラーになっていった。サウンド・システムは当時のキングストンの人々にとって娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換の場であり、商売の場でもあった。 1950年代に入ると後述するようにキングストン市内にもレコーディングスタジオが開設されはじめる。以後ジャマイカ産のR&Bやジャズをプレイできるようになった各サウンド・システムはダブ・プレートを量産し、互いに激しく競い合うようになった。特に1952年に稼動開始したデューク・リードのトロージャン (Trojan) と、1954年に稼動開始したコクソン・ドッドのサー・コクソンズ・ダウンビートはライバルとして1970年代までジャマイカ音楽を牽引する存在となった。 これらのサウンド・システムとそこに集まる観衆の音楽的嗜好は、スカ誕生からダンスホールレゲエ期に亘る全てのジャマイカ音楽の変遷、流行に影響を与えている。また、その後サウンド・システム文化はジャマイカからの移民によってイギリス、アメリカをはじめ海外にも持ち込まれていった。1967年にニューヨーク市ブロンクス区へ移住したジャマイカ人DJのクール・ハークは当地でハーキュローズというサウンド・システムを立ち上げ、ヒップホップ音楽の誕生に大きな影響を与えた。
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