コンセール・ポピュレール
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コンセール・ポピュレール
- ジュール・パドルーが1861年に創設したフランスのオーケストラ。コンセール・パドルーを参照。
- 服部正が1936年に創設した日本のオーケストラ。青年日本交響楽団を参照。
コンセール・ポピュレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 13:51 UTC 版)
「コンセール・パドルー」の記事における「コンセール・ポピュレール」の解説
パリ音楽院の卒業後に母校で教え、また「音楽院の若い芸術家協会」(Société des jeunes artistes du Conservatoire)を作り演奏活動を続けていたジュール・パドルーは1861年、80人からなるコンセール・ポピュレール(クラシック音楽大衆演奏会、Concerts populaires de musique classique)を組織し、10月27日の日曜日、初のコンサートを開いた。 コンセール・ポピュレールは大衆のためのオーケストラとして、コンサートホールではなく5000人を収容するサーカス場「シルク・ナポレオン」(1852年オープン。1870年以降は「冬のサーカス」(シルク・ディヴェール、Cirque d'hiverと呼ばれる)を会場とし、入場料を安くしたので、それまでクラシック音楽と縁のなかった人々にも休日にオーケストラのコンサートに通う選択肢が生まれ、結果としてクラシック音楽の愛好者を大幅に増やすことになった。 また、クラシックに馴染みがなかった聴衆のために、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ハイドン、モーツァルト、ウェーバーを中心としたドイツの古典音楽をプログラムの基本とする一方、サン=サーンス、ビゼー、ブラームス、ワーグナー、グリンカ、チャイコフスキーら、当時の作曲家の作品を紹介した。 しかし、このコンセール・ポピュレールは、後発のコンセール・コロンヌ(1873年設立)やコンセール・ラムルー(1881年設立)に押され、1884年に活動を停止した。
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