コックス事件との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
「篠崎スパイ事件」の記事における「コックス事件との関連」の解説
篠崎 (1976, p. 7)は、自分の逮捕はコックス事件の報復だったことは明らかだ、としており、この篠崎の見方についてBridges (1986, pp. 31-32)は、コックス事件後の1940年8月初旬に英帝国内各地で英本国が同事件への報復として日本人10人を逮捕・国外追放していることを指摘し、篠崎の事件は、コックス事件以前から(英本国の指示によらずに)シンガポールの警察当局によって調査が進められており、また篠崎の事件では、報復逮捕に際しての英本国からの「外交官や軍人など『重要な地位』にある人物は対象としない」という指示に反して「領事館嘱託」の篠崎を逮捕していることから、報復措置とは性質を異にしているが、コックスが死亡しなお数人の英国人が日本に拘留され続けている状況で、十分な証拠があるとされた事件に対して例え外交問題に発展する懸念があったとしても篠崎を起訴することを英本国がためらわなかったという点での関連は否定すべきでない、としている。 なお、コックス事件の報復措置により同年8月4日にシンガポールで逮捕されたシンガポール・東方通信社の主筆・小林猪四郎は、篠崎の事件で篠崎らシンガポール在住の日本人6人が一斉に逮捕されたのと同じ日に釈放されている。 また同年10月2日にコックス事件に関連して在日英国人10人に対する刑罰が発表された後も、東京で逮捕されたC.H.N.ジェームズ海軍予備大尉ら3名は「取調べ中」として日本で拘留され続けており、篠崎 (1976, pp. 10-14)は、長期囚として欧米人・ユーラシアンの受刑者らとともにチャンギー監獄に収監されていた篠崎は、約8ヵ月位経過した頃、「日本で服役中の英国海軍予備大尉の待遇が悪く、煙草も読書も禁止されているので君もそのようにした上、アジア人ブロックに移されることになった。」として自身の待遇が悪くなったことに言及している。
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