ココス諸島での戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:15 UTC 版)
「シドニー (軽巡洋艦・初代)」の記事における「ココス諸島での戦闘」の解説
第一次世界大戦開戦後、1914年11月1日に「シドニー」は軽巡洋艦「メルボルン」、イギリス装甲巡洋艦「マイノーター(英語版)」と共にANZAC遠征軍を乗せた船団を護衛してオールバニを出港した。11月3日、船団に日本の巡洋戦艦「伊吹」が合流した。11月6日、「マイノーター」は船団から離れ喜望峰方面へ向かった。11月8日6時30分、ココス諸島のディレクション島から怪しい船が接近しているとの緊急電が発せられた。この船とはインド洋で通商破壊を行っていたドイツ軽巡洋艦「エムデン」であり、ディレクション島の海底電線の中継所の破壊を目的としていた。この時船団はココス諸島の北55海里にいた。「シドニー」は急行を命じられココス諸島へ向かい、「伊吹」などは船団の護衛を続行した。 9時15分に「エムデン」は「シドニー」を発見、40分に射距離9400mで「エムデン」が「シドニー」に対し砲撃を開始、これに「シドニー」も反撃した。最初は「エムデン」のほうが優勢であったが10時以降は「シドニー」優勢となり、大破した「エムデン」は11時15分ノースキーリング島に座礁した。この戦闘での「シドニー」の死者は3名、負傷者は12名であった。
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