グラントの支持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 04:57 UTC 版)
ユリシーズ・グラント将軍は、ジョンソン大統領の下で1865年から1868年まで陸軍を指揮したが、概して急進派の綱領を推進していた。議会の急進派指導者は、下院のタデウス・スティーブンスであり、上院のチャールズ・サムナーだった。1868年アメリカ合衆国大統領選挙でグラントは共和党員として当選した。選挙後は概してレコンストラクション政策で急進派に就き、1871年の公民権法に署名して法制化した。 1872年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党は分裂し、グラントの再選を求める派と、サムナーを含めたリベラル派共和党に分かれた。リベラル派は新しく第3政党を作り、グラントに対抗した。選挙でリベラル派は大敗したが、1873年当時の経済は不況に陥っており、1874年には民主党が権力の座に戻って、共和党支配の時代を終わらせた。 急進派は新しい連衡を守ろうとしたが、南部州は1つずつ共和党から権力を奪い、1876年になると、まだ軍隊が守っていたルイジアナ州、フロリダ州、サウスカロライナ州の3州を残すのみとなった。1876年アメリカ合衆国大統領選挙は大変な接戦となり、二大政党の双方に大量の不正や違法行為があったが、それら3州の結果で決まった。1877年妥協は共和党員を大統領として選ぶ代わりに、軍隊の引き揚げを認めた。当選したラザフォード・ヘイズ大統領が軍隊を引き揚げさせ、共和党による南部州支配は即座に崩壊した。
※この「グラントの支持」の解説は、「急進派共和党」の解説の一部です。
「グラントの支持」を含む「急進派共和党」の記事については、「急進派共和党」の概要を参照ください。
- グラントの支持のページへのリンク