クルセード時代
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1956年(昭和31年)2月 本田クルセードを創設し、主幹となる。1964年(昭和39年) 本田クルセードと首都圏の教会の協力により、文京公会堂において東京福音クルセードを実施する。中村敏によれば、約二万人が参加して、約二千人が信仰を決心したという。 1965年(昭和40年)12月 神戸中央教会主幹牧師を辞任し、本田クルセードに専念するために、東京都世田谷区に移住する。近所に住んでいた、安藤仲市、羽鳥明など福音派の指導者と交流する。1966年(昭和41年)本田クルセードは、有賀喜一らを協力伝道者に加えて、日本福音クルセードと改称し、事務局を整えて再出発をした。1968年(昭和43年)4月に日本福音同盟が設立される際に共立講堂で持たれた記念大会で、本田は主講演者として語り、創立が神のみこころによること、聖書信仰に立つこと。宣教の前進のためであることの三点を強調して語った。 1970年(昭和45年)に1月2日の穐近祐のイエス福音教団の東京教会で、日本・リバイバル・クルセード(現、全日本リバイバルミッション)の代表滝元明、田中政男らに按手する。同クルセードの顧問に就任して、指導の任にあたる。
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