キクラデス文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 19:09 UTC 版)
詳細は「キクラデス文明」を参照 キクラデス諸島では、新石器時代後期から青銅器時代初期にかけて、キクラデス文化が栄えた。諸島で産する純白の大理石から作られた平らで様式化された偶像が特徴的なこの文化は、南方のクレタ島に栄えた青銅器時代中期のミノア文明に先立つものである。 エーゲ海西部には、紀元前4000年より前に、アナトリアとギリシャ本土の影響が混合した独特の新石器文化が生まれた。この文化はエンマー小麦(英語版)や野生種の大麦、羊や山羊や豚、そしてマグロ(小さなボートからの突き刺し漁が行われたことは明らかである)に支えられていた。ケア島にあるサリアゴス(Saliagos)やケファラ(Kephala)の採掘遺跡からは、銅細工が行われた形跡も得られている。 キクラデスの小さな島々はそれぞれ、数千人以上の人口を支えることはできなかった。キクラデス文化後期のボートのモデルからは、散在したコミュニティから50人の漕ぎ手を集めることができたと考えられる。しかし、より高度で組織化されたミノア文明が登場すると、これらの島々は取るに足りないものとなっていった。ただデロス島のみはアルカイック期の性質を保ち続け、古代を通してキリスト教の登場まで聖地として仰がれた。
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