ガーシュウィン
ロシアから移住した両親のもとに生まれ、マンハッタンの貧しいユダヤ人街で育った。幼少から積極的に音楽に親しんでいたわけではないが、両親が彼にピアノを買い与えるとピアノの手ほどきを受けるようになり、のちに音楽理論、和声、管弦楽法などを学ぶ。ただ、それらの知識はひととおり学んだにすぎずガーシュウィンは読譜にも精通していたわけではなかったが、即興演奏の才能にたけていたので、自作品を材料にした即興演奏のステージでたびたび聴衆の前で演奏した。彼は〈ラプソディー・イン・ブルー Rhapsody in Blue〉(1924)、〈パリのアメリカ人 An American in Paris〉(1928)、オペラ〈ポーギーとベス Porgy and Bess〉(1934~35)などのクラシック作品として扱われる作品のほか、ポピュラー・ソングやミュージカル、映画のための作曲も手がけていたことがよく知られている。とくに、1924年以降の歌曲はほぼすべて兄のアイラ・ガーシュウィンの詞に曲をつけた作品で、それらは数々のヒット作品を生み、ガーシュウィン兄弟はブロードウェイで最も活躍した作詞・作曲コンビのひとつとなる。
Weblioに収録されているすべての辞書からガーシュウィンを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からガーシュウィンを検索
- ガーシュウィンのページへのリンク