カールフリードリヒ (バーデン大公)とは? わかりやすく解説

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カール・フリードリヒ (バーデン大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 12:49 UTC 版)

カール・フリードリヒ
Karl Friedrich
バーデン=ドゥルラハ辺境伯
バーデン辺境伯
バーデン選帝侯
バーデン大公
在位 1806年 - 1811年
別号 バーデン=ドゥルラハ辺境伯1738年 - 1771年
バーデン辺境伯:1771年 - 1803年
バーデン選帝侯:1803年 - 1806年

出生 (1728-11-22) 1728年11月22日
神聖ローマ帝国
バーデン=ドゥルラハ辺境伯領カールスルーエ
死去 (1811-06-10) 1811年6月10日(82歳没)
バーデン大公国カールスルーエ
配偶者 カロリーネ・ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
  ルイーゼ・カロリーネ・フォン・ガイヤースベルク
子女 一覧参照
家名 ツェーリンゲン家
父親 フリードリヒ・フォン・バーデン=ドゥルラハ
母親 アマーリエ・フォン・ナッサウ=ディーツ=オラーニエン
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バーデン大公カール・フリードリヒ

カール・フリードリヒKarl Friedrich, 1728年11月22日 - 1811年6月10日)は、バーデン=ドゥルラハ辺境伯(在位:1738年 - 1771年)、バーデン辺境伯(在位:1771年 - 1803年)、バーデン選帝侯(在位:1803年 - 1806年)、初代バーデン大公(在位:1806年 - 1811年)。

生涯

バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール3世の次男フリードリヒオラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾの娘アマーリエの子として、カールスルーエで生まれた。

1732年に父が死去、1738年に祖父も亡くなったため、バーデン=ドゥルラハ辺境伯領を継承した。但し、幼少のため父の従弟に当たるカール・アウグストが1746年まで後見人となった。1771年、バーデン=バーデン辺境伯アウグスト・ゲオルクが子の無いまま死去、遺領を相続して統合、バーデン辺境伯となった。名君とされており、学校、大学、法学校、公的サービス、経済・文化、都市開発を支援した。また、1767年拷問を、1783年には農奴制を廃止した。

1803年に選帝侯となったが、神聖ローマ帝国自体が1806年に消滅したため、選帝権を行使することは名実共になかった。大臣ライツェンシュタインの政治的手腕によって、バーデンはコンスタンツ司教座、バーゼル司教座、シュトラスブルク司教座、シュパイヤー司教座、ブライスガウ、オルテナウ、プファルツ選帝侯領東部を獲得し、帝国消滅の年にバーデン大公国が成立、ライン同盟に加盟した。1811年に死去、孫のカールが大公位を継いだ。

家族

1751年カロリーネ・ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世の娘)と結婚。5子をもうけた。

1783年にカロリーネが死んだ後、1787年にカール・フリードリヒはルイーゼ・カロリーネ・フォン・ガイヤースベルクと再婚した。この結婚は貴賤結婚とみなされ、ルイーゼの生んだ子供達には大公位継承権は与えられなかった。ルイーゼはホフベルク伯爵夫人の称号を授けられ、彼女との子供達がこの称号を継承した。

1817年、カール・フリードリヒと最初の妃カロリーネとの間の血統は、第2代大公カールに男子がいないことから断絶が決定的になった。当時の相続法によってバイエルンマクシミリアン1世にバーデン大公国が継承されることを避けるため、大公カールは継承権をホフベルク伯爵夫人ルイーゼの生んだ子供達にも与えることとした。彼らはこの時から、大公子及び大公女の称号を授けられた。彼らの継承権は1818年の憲法に明記され、これをバイエルン、フランクフルト条約の調印国などが承認した。そしてカール・フリードリヒとルイーゼ・フォン・ガイヤースベルクとの間の長男レオポルトが1830年に大公位を継いだ。

ウィレム4世 : 叔父 - 1728年から1751年までのオラニエ公オランダ総督(1747年-1751年)。

ウィレム5世 : 従弟 - 1751年から1802年までのオラニエ公兼オランダ総督(1751年-1795年)。

先代
カール3世
バーデン=ドゥルラハ辺境伯
1738年 - 1771年
次代
バーデン辺境伯に統合
先代
アウグスト・ゲオルク
バーデン辺境伯
1771年 - 1803年
次代
選帝侯に昇格
先代
新設
バーデン選帝侯
1803年 - 1806年
次代
神聖ローマ帝国とともに消滅
先代
新設
バーデン大公
1806年 - 1811年
次代
カール



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