カール・フリードベルクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 演奏家 > ドイツのピアニスト > カール・フリードベルクの意味・解説 

カール・フリードベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 19:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
カール・ルドルフ・ヘルマン・フリードベルク
基本情報
生誕 (1872-09-18) 1872年9月18日
出身地 ドイツ ビンゲン
死没 (1955-09-09) 1955年9月9日(82歳没)
学歴 ホーホ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

カール・ルドルフ・ヘルマン・フリードベルクドイツ語: Carl Rudolf Hermann Friedberg, 1872年9月18日 ビンゲン1955年9月9日 メラーノ)は、ドイツピアニスト、音楽教師。

経歴

1872年、ビンゲン生まれ。フランクフルトホーホ音楽院にてジェームス・クヴァストクララ・シューマンピアノを師事する。

その後1893年から1904年まで同校の教員をつとめ、1904年から1914年までケルン音楽院(現・ケルン音楽大学)の教壇に立った。1923年から1946年に隠退するまで、ニューヨーク芸術音楽専門学校(現・ジュリアード音楽院)でピアノ科の首席教授を務める。主要な門人にエリー・ナイマルコム・フレイジャー、ブルース・ハンガーフォード、ウィリアム・マセロスらがいる。1955年[9月9日、イタリアに客死した。

演奏活動・評価

フリードベルクは60年以上にわたって欧米でピアニストとして演奏を続けた。1900年12月2日グスタフ・マーラーの指揮するウィーン宮廷管弦楽団と共演して公式のデビューを果たした。但し、1893年には全曲ブラームス作品によるリサイタルを本人立ち会いのもとに行い、作曲者から称賛を得た。その後はブラームスのピアノ曲のほとんどについて、作曲者本人の個人指導により特訓を受けている。1920年にはアルトゥル・シュナーベルの後任として、カール・フレッシュフーゴ・ベッカーが結成したピアノ三重奏団に加入し、1932年に解散するまで室内楽奏者として活動した。アメリカではフリッツ・クライスラーと数多くのリサイタルで共演しており、1937年にはダニエル・カルピロフスキーやフェリックス・サルモンドと自前のピアノ三重奏団を結成している。

フリードベルクはレパートリーの幅広い演奏家であったが、一般的にベートーヴェンシューマン、ブラームスのピアノ曲と結びつけられることが多い。

脚注






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カール・フリードベルク」の関連用語

カール・フリードベルクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カール・フリードベルクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカール・フリードベルク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS