オープン・ザ・ドリームゲート王者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:45 UTC 版)
「鷹木信悟」の記事における「オープン・ザ・ドリームゲート王者へ」の解説
年間最大大会である神戸ワールド記念ホール大会のメインを、闘龍門時代を経験していない新世代同士が戦うという異例のシチュエーションの中、35分を越える激戦を繰り広げ、ついにドリームゲート王座を戴冠した。しかし試合後、REAL HAZARDのメンバー達と言い争いになりユニットから追放されるが、ドラゴン・キッド、斎藤了らTyphoonに共闘を呼びかけられる。難色を示したが、アンソニー・W・森の張り手と罵倒により渋々共闘していくことになった。この試合で右肩を負傷し、本来ならば欠場してもおかしくない状況であったが、負傷を公表することなく無理を押して試合に出場し続けた。そのためドリーム王者時代が一番苦しい時期であったと本人は後に振り返る。 2008年8月31日の博多スターレーン興行で、サイバー・コングを相手にドリームゲート王座防衛に成功。これは初防衛となった。試合後、WORLD-1入りを谷嵜なおきに打診されるが、改めてタッグリーグで組んだドラゴン・キッドの所属するTyphoon入りを宣言。しかし、CIMAと横須賀享はこのことを帰国するまで知らされておらず、鷹木自身も我関せず的な態度を示したため、Typhoon内での亀裂を生んだ。 9月28日の福井大会で、新人時代に挑んで敗北したTAKAみちのくとドリームゲート王座を賭けて対戦し、王座防衛に成功。11月16日の大阪大会では同じTyphoonに所属する横須賀享とドリームゲート王座のタイトルマッチを行い勝利するが、行き過ぎた自己中心的な発言の数々が原因で斎藤了にTyphoon追放を言い渡された。 KING OF GATE2008は「高みの見物」として不参加。12月28日の福岡大会において、同大会で優勝した土井成樹を相手にドリームゲート防衛戦を行うも、マスキュラーボムの前に敗れ、王座陥落。
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