オレゴン (客船・初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 16:13 UTC 版)
オレゴン | |
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基本情報 | |
船種 | 蒸気旅客船 |
船籍 |
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運用者 |
グイオン・ライン (1883年 - 1884年) キュナード・ライン (1884年 - 1886年) |
建造所 | ジョン・エルダー・アンド・カンパニー |
経歴 | |
進水 | 1883年6月23日 |
就航 | 1883年10月7日 |
最後 | 1886年、ニューヨークの東18マイル沖にて帆船と衝突、両船共に沈没 |
要目 | |
総トン数 | 7,375t |
長さ | 521 ft (159 m) |
幅 | 54 ft (16 m) |
推進器 | スクリュー1軸 |
速力 | 18.5ノット |
オレゴン(SS Oregon)はグイオン・ラインが所有していた蒸気船・客船である。
概要
オレゴンは1883年6月23日に進水した。速力が他の客船に比べて速く、1884年には大西洋最速横断記録であるブルーリボン賞を受賞している。しばらくはグイオン・ラインに所属していたがその後キュナード・ラインへと移籍し、数少ない航海の中で最速記録を更新し続けた。1885年、オレゴンはイギリス海軍に補助艦として徴用され、その性能を活かして他の艦船の危機を救う等補助艦としての使命を見事に果たした。オレゴンがキュナード・ラインに戻ったのは1885年11月であるが、4ヶ月後にニューヨーク港へ進入中に帆船と衝突、乗客は全員無事に救助されたがオレゴンはニューヨーク・ロング島沖18マイル東に沈んだ。残骸は後に人気のダイビング・スポットとなっている。[1]
脚注
- ^ Kludas, Arnold (1999年). Record breakers of the North Atlantic, Blue Riband Liners 1838-1953. ロンドン: Chatham
記録 | ||
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先代 アラスカ |
ブルーリボン賞 (船舶) (西回り航路)保持船舶 1884年~1885年 |
次代 エトルリア |
ブルーリボン賞 (船舶) (東回り航路)保持船舶 1884年~1885年 |
「オレゴン (客船・初代)」の例文・使い方・用例・文例
- 「我々は来週上司とオレゴンに行くことになっている」「ええ,そう聞きました」
- その出来事はオレゴン州の歴史の中で重要な位置を占める。
- 彼は典型的なオレゴン州人だ。
- 彼はオレゴン州で20年以上黒尾ジカ狩りのガイドをしてきた。
- 太郎は、オレゴン州ですばらしい経験をするだろう。
- 彼女は出身地はアメリカのオレゴン州です。
- オレゴンの友人のブラウン氏があす私たちを訪ねてきます。
- カリフォルニアとオレゴンの沿岸にすむ丸々太ってずんぐりした鳥
- 米国北西部の地域で、通常ワシントン州とオレゴン州、時にはブリティッシュコロンビア州南西部を含む
- オレゴン州の国立公園で、米国で最も深い湖が死火山の噴火口の中にある
- カスケード山脈裾の東のオレゴン中部の町
- ウィラミット川の西オレゴンの都市
- カリフォルニアの境界の近くのオレゴン南部の町
- オレゴン南西部の町
- オレゴンの淡水の港と、最も大きい都市
- ウィラメット川の州の北西の一部にあるオレゴン州の州都
- ワシントン南西部の町で、オレゴン州のポートランドを横切るコロンビア川に沿うところ
- オレゴンの境界の近くの南東のワシントンの町
- 米国北西部の山脈で、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州北部に延びる
- オレゴン州から南西の方向へ向かい、北カリフォルニアを通じて太平洋へ流れる川
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