オリンピック村構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 07:47 UTC 版)
「キャンプ・ドレイク」の記事における「オリンピック村構想」の解説
詳細は「代々木選手村」を参照 1959年(昭和34年)にミュンヘンで開催されたIOC総会で1964年東京オリンピックが決定される。これに伴ってキャンプ朝霞を選手村として一時利用する計画があった。1957年(昭和32年)5月9日に行なわれた日米合同委員会(返還協議)において一時使用案を米軍に提示、米軍側は緊急時には即時返還することなどの条件付きで一時使用を認める。政府は桃手地区(現:和光市 南地区)を利用し、その後の返還を視野に入れた計画を立てるが、米軍側との調整が難航する。その後、米軍側から東京・代々木のワシントンハイツ全域の返還が約束され、選手村はそちらへ建設されることになった。桃手地区計画は消滅し、代わりに東京オリンピック射撃会場となった。根津パークでは近代五種である馬術競技が行なわれている。
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