オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群の意味・解説 

オビエド

(オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 02:33 UTC 版)

Oviedo

  


自治体庁舎
 アストゥリアス州
 アストゥリアス県
面積 186.65 km²
標高 336m
人口 220,020 人 (2018年[1]
人口密度 1,178.78 人/km²
Oviedo
スペイン内オビエドの位置
Oviedo
アストゥリアス県内オビエドの位置

北緯43度21分45秒 西経5度51分01秒 / 北緯43.36250度 西経5.85028度 / 43.36250; -5.85028座標: 北緯43度21分45秒 西経5度51分01秒 / 北緯43.36250度 西経5.85028度 / 43.36250; -5.85028

オビエドスペイン語: Oviedoアストゥリアス語Uviéu)は、スペインアストゥリアス州ムニシピオ(基礎自治体)。アストゥリアス州の州都である。

地理

近隣の都市としては、北東24kmにビスケー湾に面した工業都市のヒホンが、北北西23kmにやはりビスケー湾に面したアビレスがあり、オビエドを含めた3都市がアストリアス州の三大都市である。オビエドの中心市街地から5kmの場所にはナロン川の支流であるノラ川英語版が流れている。市街地の標高は80mから100m程度である。

気候

オビエドはエスパーニャ・ベルデと呼ばれるカンタブリア山脈の北麓に位置しているため、スペインにおいては比較的降水量が多く、比較的穏やかな気候である。オビエド自体もビスケー湾に近いことから、内陸部にあるものの温暖な海洋性気候であり、ケッペンの気候区分ではCfbに分類される。もっとも気温が高い月は8月であり、8月の平均最高気温は摂氏23.3度となる。

オビエドの気候 (1981–2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 23.4
(74.1)
24.6
(76.3)
26.8
(80.2)
31.5
(88.7)
32
(90)
35.5
(95.9)
37
(99)
35.6
(96.1)
36.4
(97.5)
31.7
(89.1)
26.6
(79.9)
23
(73)
36.4
(97.5)
平均最高気温 °C°F 12.0
(53.6)
12.7
(54.9)
14.9
(58.8)
15.7
(60.3)
18.2
(64.8)
20.9
(69.6)
22.8
(73)
23.3
(73.9)
22.1
(71.8)
18.7
(65.7)
14.6
(58.3)
12.4
(54.3)
17.4
(63.3)
日平均気温 °C°F 8.3
(46.9)
8.7
(47.7)
10.5
(50.9)
11.3
(52.3)
13.9
(57)
16.7
(62.1)
18.7
(65.7)
19.1
(66.4)
17.6
(63.7)
14.6
(58.3)
10.9
(51.6)
8.9
(48)
13.3
(55.9)
平均最低気温 °C°F 4.6
(40.3)
4.7
(40.5)
6.1
(43)
6.8
(44.2)
9.5
(49.1)
12.4
(54.3)
14.5
(58.1)
14.8
(58.6)
13.1
(55.6)
10.4
(50.7)
7.2
(45)
5.3
(41.5)
9.1
(48.4)
最低気温記録 °C°F −6
(21)
−3.8
(25.2)
−3.6
(25.5)
−0.5
(31.1)
1.6
(34.9)
5.6
(42.1)
7.4
(45.3)
8.6
(47.5)
5.2
(41.4)
2.4
(36.3)
−4.2
(24.4)
−3.6
(25.5)
−6
(21)
降水量 mm (inch) 84
(3.31)
81
(3.19)
78
(3.07)
100
(3.94)
82
(3.23)
57
(2.24)
45
(1.77)
56
(2.2)
66
(2.6)
99
(3.9)
115
(4.53)
99
(3.9)
962
(37.88)
平均降水日数 (≥1 mm) 11 10 10 12 12 8 7 8 8 11 12 12 122
湿度 76 75 74 76 78 79 79 80 78 79 79 77 78
平均月間日照時間 115 122 153 161 167 167 177 176 167 138 109 105 1,756
出典:スペイン気象庁(AEMet)[2]

人口

オビエドの人口推移 1900-2010
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

歴史

サン・サルバドール大聖堂

711年(または712年)、グアダレーテの戦いでアストゥリアスはイスラム教徒に征服された。722年のコバドンガの戦いアストゥリアス王国の伝説的な王ペラーヨがアストゥリアスを奪回し、カンガス・デ・オニスにキリスト教徒の拠点を確保した(最初のレコンキスタ)。

761年頃に、修道院長マクシムスはオビエドに修道院を建てた。8世紀末のアストゥリアス王アルフォンソ2世西ゴート王国の後継を自負し、オビエドを都としてアーヘントレドを模した宮廷・教会組織を作り、司教座を創建し、都を教会や修道院で飾った。

914年、アストゥリアス王国は都をレオンへ遷した。これ以降は、レオン王国と呼ばれ、のちにアストゥリアスはカスティーリャ王国、スペイン王国の一部となった。

近代に入ると、ナポレオンの侵入によって一時荒廃したが、近隣の地下資源を背景に工業都市として発展を遂げた。炭鉱労働者などが多いこともあり、20世紀に入ると労働運動が盛んになった。1934年には、大規模な鉱山労働者の蜂起(アストゥリアス革命スペイン語版)が起こったものの、後に独裁者となるフランコ指揮の軍に鎮圧された。1936年に勃発したスペイン内戦においては、北部の重要な工業都市であったことから、反乱軍英語版がこの都市の確保を重視し、早期に制圧された。その後、政府側との激しい攻防が展開されたため、再び街は荒廃した。

経済

19世紀以降、近隣で産出される石炭鉄鉱石を背景に、アストゥリアス地方で鉱工業が発展した。近年には製造業は盛んではなく、経済はサービス業に依存している。

社会

教育

1608年にはオビエド大学が開学し、オビエド、ヒホンミエーレスの3都市にキャンパスを有しているうえに、オビエド市内でも5か所にキャンパスが分散している。クリストキャンパスには生物学部、法学部、経済学部、医学・健康科学部、理学部、体育学・スポーツ科学専門学校がある。リャマキケキャンパスには理学部、教育学部、地質学部がある。カタラネスキャンパスにはコンピュータ工学部がある。セントロキャンパスには心理学部、鉱業・エネルギー・材料工学校がある。エル・ミランキャンパスには哲文学部がある。

交通

オビエドには1874年に開業したオビエド駅スペイン語版があり、ヒホンへの鉄道路線の他にも、プラビアスペイン語版を経由してイベリア半島の北海岸を西へ回る鉄道路線、さらに、東のサンタンデールなどへ向かう鉄道路線、そして、カンタブリア山脈を越えてレオン方面に向かう鉄道路線が存在する。 1978年には、近郊のトンネルで1000トンを超す軽油などを積んだ貨物列車が爆発、7人が死亡する事故が発生している[5]

また、近くにアストゥリアス空港も設置されている。

文化

観光

オビエドとアストゥリアス王国の建造物群
スペイン
サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
英名 Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
仏名 Monuments d’Oviedo et du royaume des Asturies
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(4)
登録年 1985年(ID312)
拡張年 1998年
公式サイト [世界遺産センター](英語)
使用方法表示

オビエドはアストゥリアス革命とスペイン内戦で破壊されたため、古い町並みはあまり残されていない。旧市街にはアストゥリアス考古学博物館英語版があり、先史時代古代ローマ時代・アストゥリアス王国時代などについての様々な展示がされている。同じく旧市街のベラルデ宮殿などにはアストゥリアス美術館英語版があり、絵画などが展示されている。プリロマネスク建築の教会としてカマラ・サンタ英語版があり、世界遺産の構成遺産となっている。オビエド大聖堂(サン・サルバドール大聖堂)は9世紀にアストゥリアス王アルフォンソ2世の命で建てられたものであり、14世紀からゴシック様式で増築された。

世界遺産

オビエドおよびレナスペイン語版には9世紀に建設された3件の教会があり、1985年に「アストゥリアス王国の教会」という名称でユネスコ世界遺産に登録された[6]。1998年に3件の建造物が追加され、「オビエドとアストゥリアス王国の建築物群」と改名された(ID312)。

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
ギャラリー

スポーツ

自転車ロードレースのブエルタ・ア・アストゥリアスはオビエドを含むアストゥリアス州全域で開催される。ブエルタ・ア・アストゥリアスのステージレースとして、オビエド近郊のナランコ山英語版に登るシブダ・アル・ナランコ英語版がある。ブエルタ・ア・エスパーニャはオビエド近郊もコースの一部となる。

F1ドライバーのフェルナンド・アロンソはオビエド出身である。オビエド近郊のリャネラ英語版にはアロンソが設計したカートサーキットやアロンソの功績を展示した博物館がある[7]

競技 名称 所属リーグ
男子サッカー レアル・オビエド セグンダ・ディビシオン(2部)
女子サッカー レアル・オビエド英語版 セグンダ・ディビシオン(2部)
男子バスケットボール オビエドCB英語版 LEBオロ(2部)
女子バスケットボール CDウニベルシダ・デ・オビエド英語版 リーガ・フェミニーナ2(2部)
ラグビー オビエドRC英語版 ディビシオン・デ・オノールB(2部)
ローラーホッケー オビエドBCスペイン語版 プリメーラ・ディビシオンB(2部)

姉妹都市

出身者

カンポアモール劇場で開催されるアストゥリアス皇太子賞授賞式

脚注

  1. ^ Población, superficie y densidad por municipios” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月8日閲覧。
  2. ^ Guía resumida del clima en España (1981-2010)”. 2013年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月10日閲覧。
  3. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  4. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  5. ^ トンネル内で燃料列車爆発『朝日新聞』1978年9月28日夕刊、3版、11面
  6. ^ 川成洋『スペイン文化読本』丸善出版、2016年、173頁。ISBN 978-4-621-08995-8 
  7. ^ Fernando Alonso museum”. Fernando Alonso.com. 2015年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月4日閲覧。
  8. ^ Geminações e Cooperações” (ポルトガル語). シントラ. 2024年2月5日閲覧。

参考文献

  • 『地球の歩き方 スペイン 2004~2005年度版』ダイヤモンド・ビッグ社、2004年、pp.364-366
  • D・W・ローマックス『レコンキスタ』刀水書房、1996年、pp.40-43
  • 立石博高編『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年、pp.73-74

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群」の関連用語

オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオビエド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS