オズワルドの逮捕とその後の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 07:36 UTC 版)
「J・D・ティピット」の記事における「オズワルドの逮捕とその後の調査」の解説
逮捕から警察による尋問の間、オズワルドはティピット殺害に一切関与していないと述べていた。目撃者たちの証言、また逮捕時に所持していた銃の存在から、オズワルドは11月22日19時10分にティピット殺害容疑で正式に逮捕された。この日の内に、警察はオズワルドがケネディ大統領狙撃に関与しているのではないかと疑い始めた。翌23日の1時頃、オズワルドはケネディ大統領暗殺の疑いでも逮捕された。オズワルドはその後も、両件に関して自分は無実だと訴え続けた。11月24日の朝遅く、オズワルドはダラス市警察本部からダラス郡刑務所に移されることになったが、警察本部の地下駐車場で、同市のナイトクラブオーナーだったジャック・ルビーに射殺された。オズワルドの移送目当てに多くのメディアが詰めかけており、射殺の瞬間はアメリカ合衆国とカナダに生放送されてしまった。 「ウォーレン委員会」も参照 オズワルドが両件で訴追される前に射殺されたことから、大統領に昇格したリンドン・ジョンソンは、事件に纏わる謎を解明するため、上下両院議員と長老政治家たちからなる委員会に、ケネディ大統領・ティピット巡査・オズワルドの死に関して調査するよう依頼した。ジョンソン大統領はまた、ルビーによるオズワルド射殺の後に湧き上がった陰謀論(英語版)を収めてくれることも期待していたという。この委員会は、委員長となった合衆国最高裁判所長官のアール・ウォーレンからウォーレン委員会と呼ばれたが、10ヶ月に渡って殺人事件の捜査と目撃者からの聞き取りを行った。オズワルドの死から10ヶ月後の1964年9月24日、ウォーレン委員会は888ページの報告書を発表し、事件の影に陰謀は存在せず、オズワルドが単独犯でケネディとティピットを殺害したと結論付けた。同報告書では、オズワルドを殺害したジャック・ルビーについても単独犯だったと結論付けている。 1979年、アメリカ合衆国下院暗殺調査特別委員会(英語版)は次のような報告書を発表した。 「オズワルドが殺人の直後に殺人に使用された武器を所持していたこと、目撃者たちがオズワルドを狙撃者だと証言したことに基づき、当委員会はオズワルドがティピット巡査を銃殺したものと結論付ける」"Based on Oswald's possession of the murder weapon a short time after the murder and the eyewitness identifications of Oswald as the gunman, the committee concluded that Oswald shot and killed Officer Tippit." — アメリカ合衆国下院暗殺調査特別委員会 (HSCA)、1979年
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