エクアドル、フィリピン産の参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 00:42 UTC 版)
「台湾バナナ」の記事における「エクアドル、フィリピン産の参入」の解説
台湾バナナはたびたび台風の直撃を受けたことと、1962年(昭和37年)にコレラが流行ったことにより出荷量がさらに減少するが、同時期にエクアドルが日本市場に売り込みを開始し、一時は市場の8割を占めるまでにエクアドル産バナナが台湾バナナのシェアを奪った。だが、エクアドル産バナナは長距離輸送と管理において台湾バナナに品質の面で大きく水をあけられており、台湾バナナは1967年(昭和42年)頃に再びシェア8割を確保するようになった。 一方、1974年(昭和49年)になるとフィリピン産バナナが台湾バナナの前に立ちはだかった。1967年(昭和42年)頃のフィリピン産のシェアは2%代だったが、日本の商社が大規模生産を開始し、1973年(昭和48年)には約5割、1974年(昭和49年)以降には7割のシェアを奪うまでになる。品質は台湾バナナに及ばないものの、輸送距離の短さによる品質劣化が少なかったことが、フィリピン産バナナの躍進に繋がった。 しかし、バナナの消費大国だった日本ではこの時期、急激にバナナの消費自体が減少していく。これには経済成長と輸送技術の進歩、収穫期をずらして果実を収穫できるハウス栽培の一般化によって、バナナ以外にも果実の選択肢が広がったことが原因としてあげられている。
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