エアロ・D・ワン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/26 09:36 UTC 版)
「ブリッテンV1000」の記事における「エアロ・D・ワン」の解説
エアロ・D・ワン(aero-d-one)は、ジョンが1987年にエアロ・D・ゼロの次に製作したマシンである。 外観上はエアロ・D・ワンと類似しているが、炭素繊維・ケブラー製の一体成形カウルとなった。カラーリングは上部がオレンジがかった赤で、両サイドに銀色のラインがあり、マシン下部は緑である。 エンジンには、当初はドゥカティ製のものを検討していたが、デンコ(Denco Engineering)製レース用空冷DOHCエンジンを2つ繋げ、999ccの60度Vツインエンジンとして使用。このエンジンはアルコール系燃料を使用するため、国際レースには出場できなかった。これが後年ブリッテンV1000にてエンジンを一から作る理由の一つともなった。エンジンをストレスメンバーとして使用し始めたが、まだ後年製造したマシンのようにフルストレスメンバーとしてではなかった。 アルミニウム製のスイングアームはエンジンに直接取り付けられ、ショックユニットはエンジンの下にあった。サスペンションはフロント・リア共にホワイトパワー製を使用。ホイールはマービックのマグネシウム製である。 最高速度は、1987年にBEARSのスピードトライアルにて238.5km/hを記録している。 なお、ジョンがテスト走行を行った際にクラッシュさせてしまい、また自身も同時に大怪我をしてしまったため、それ以来オートバイに乗ることから離れるきっかけとなってしまったマシンでもある。ちなみに、アラン・カスカートもこのマシンでクラッシュし、病院でジョンと鉢合わせしたという。
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