エアランド・バトルと湾岸戦争 (1980・90年代)
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「ヘリボーン」の記事における「エアランド・バトルと湾岸戦争 (1980・90年代)」の解説
一方、ベトナムから撤退したアメリカ陸軍は、欧州正面において通常戦力でワルシャワ条約機構軍に対抗するため、体制の抜本的な見直しに着手した。まず1976年の野戦教範FM100-5の改訂では積極防御 (Active defense) の姿勢が盛り込まれ、敵の主攻正面以外の戦線から部隊を抽出して敵の主攻正面に再配置することが提唱されたが、この一環として、TOW対戦車ミサイルなどを装備した対戦車部隊をヘリボーンで空中機動させることが考慮されていた。 そして更なる検討を経て、1982年に行われた再度改訂の際に、新しい戦闘教義としてエアランド・バトルが採択された。これは全面的に機動戦を志向して、その名の通りに空地一体の立体作戦を展開するものであり、ヘリコプターなしには作戦行動が成立しないほど重要な役割を占めるに至った。 その後、1989年のマルタ会談で東西冷戦の終結が宣言されたことで、エアランド・バトルが主戦場として想定していた欧州正面で実行に移されることはなかったが、1991年の湾岸戦争では、基本的にこの教義に基づいて作戦が進められた。第18空挺軍団はかつてない規模のヘリボーン作戦を展開してイラク軍主力の後方を遮断するなど、「左フック」の拳の先端はヘリボーン部隊が担っていた。
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