イギリス女王の臨席
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
1974年の凱旋門賞には、イギリスのエリザベス女王が有力馬の馬主としてやってきた。女王の馬が凱旋門賞に出るのは、即位以来初めてのことだった。女王のハイクレア(Highclere)はイギリスの1000ギニー、フランスオークスの2つのクラシックの勝馬で、夏のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでも2着になった。この時勝ったダリア(Dahlia)は凱旋門賞を避けてアメリカに行く事になったので、ハイクレアにも十分勝機があると思われた。これを迎えるフランス勢では前年の三冠牝馬アレフランス(Allez France)で、アレフランスは前年に凱旋門賞でも2着していた。 この頃のイギリスは、いわゆる英国病とオイルショックのダブルパンチで経済的にどん底の状態にあったが、ロンシャン競馬場にやってきたイギリスの大応援団は、そんなことはみじんも感じさせない様子で気前よく馬券を買った。 ハイクレアは、レースの中盤でアレフランスの僚馬パウリスタ(Paulista)の斜行をもろに受け、8馬身の不利を被って後方に下がり、優勝圏外になってしまった。一方アレフランスは直線入り口で早くも抜けだすと、残り700メートルを懸命に走って後続の追撃を頭差だけしのいで勝った。アレフランスはシーバードの子で、凱旋門賞父娘制覇となった。ハイクレアは20頭中最下位に終わった。2006年に凱旋門賞史上初めての失格馬となった日本のディープインパクトはハイクレアのひ孫にあたる。
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