アーンドラ・プラデーシュ州首相就任
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1982年3月29日、NTRはハイデラバードでテルグ・デサム党を結成して政治活動を始めた。結党の理由は、1956年の成立以来アーンドラ・プラデーシュ州の与党を務めるインド国民会議の腐敗から同州を解放するという「歴史的必要性」に基づいたものだとされている。同党はサンジャヤ・ヴィチャラ・マンチ党と共闘して知名度があり、腐敗とは縁のない知識層の候補者を擁立した。NTRはグディバダ・ティルパティ(英語版)の2選挙区から出馬し、インドの政治家で初めてヤタ・ヤットラ(英語版)をキャンペーンに利用するなど革新的な選挙運動を展開した。彼は「チャイタニヤ・ラザム」と名付けたシボレー・バンに乗り込み、息子ナンダムーリ・ハリクリシュナと共に同州全域を遊説し、その走行距離は7万5,000キロメートル以上を記録している。彼はバンを黄色い党旗で飾り、車上に座って各地を巡り「Telugu Vari Atma Gauravam(テルグ人の尊厳)」をスローガンに掲げて政府と民衆の緊密な関係の構築を主張して選挙戦に挑んだ。 選挙戦の結果、テルグ・デサム党はサンジャヤ・ヴィチャラ・マンチ党と合わせて202/294議席を獲得してアーンドラ・プラデーシュ州議会与党となり、NTRも出馬した2選挙区で勝利した。1983年1月9日、NTRは州議会で第11代アーンドラ・プラデーシュ州首相(インド国民会議議員以外で初となる州首相)に就任し、閣僚10名と閣外大臣5名で構成する内閣を発足させた。
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