アーノルド隊の到着とは? わかりやすく解説

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アーノルド隊の到着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 22:48 UTC 版)

ケベックの戦い (1775年)」の記事における「アーノルド隊の到着」の解説

アーノルドがその遠征隊に選んだ兵士ボストン包囲戦参加していたニューイングランドの諸中隊から志願兵募ったのだった。この遠征のために2個大隊編成され3つめの大隊としてダニエル・モーガン中佐指揮下にペンシルベニアバージニア出身ライフル銃狙撃兵組み込まれた。メイン荒野抜ける道は長く困難さを伴うものだった湿度高く寒冷であり、アーノルドワシントン予想したよりも時間掛かった悪天候輸送用ボート壊れたために遠征隊の食料大半がだめになり、当初1,100名いた兵士のうち500名は途中で死ぬか、戻った戻った者の中でニューイングランド大隊の者が残っていた食料多く持ち去ってしまった。遠征続行した者達は11月初めにフランス系カナダ人開拓地到着した時までに飢えつつあった。11月9日ボストンからケベックまで行軍し残ったアーノルド隊約600名が、セントローレンス川挟んでケベック市対岸にあるポイントレビに到着したアーノルドはその部隊の状態が悪かったにも拘わらず直ぐに川を渡るための船を集め始めた11月10日夜に準備進めたが、嵐のためにそれから3日間は遅れた。川の対岸上陸するケベック市の壁からは約1.5マイル (2.4 km) のアブラハム平原部隊移動させた。 ケベック市の壁に近付いている部隊装備甚だしく弱かったアーノルド隊には大砲無く兵士1人あたり5発の実包しか持っておらず、100挺以上のマスケット銃使い物にならず、兵士服装ボロ同然になっていた。勢力で1対2と劣勢であったにも拘わらずアーノルドケベック市降伏要求したアーノルド2度送った交渉使節イギリス軍大砲返礼を受け、その要求拒否されたことを示したアーノルド武力ケベック市占領できない判断したので、市の西側封鎖した11月18日アーノルド隊はイギリス軍800名の勢力攻撃掛けてくるという噂を耳にした。アーノルド隊は作戦会議開いて封鎖続けられない判断しモントリオール占領したばかりのモントゴメリー隊が到着するのを待つために、20マイル (32 km) 上流のポワント・オ・トランブル(アスペンポイント)まで部隊の移動始めた

※この「アーノルド隊の到着」の解説は、「ケベックの戦い (1775年)」の解説の一部です。
「アーノルド隊の到着」を含む「ケベックの戦い (1775年)」の記事については、「ケベックの戦い (1775年)」の概要を参照ください。

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