アヴィオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 09:20 UTC 版)
その後アデールはアヴィオンII号(別名ゼピュロスまたはエオールIIとも)という飛行機の製作に着手した。多くの資料は、その作業が完遂されず次機アヴィオンIII号の製作のために放棄された、という説を採っている。ただし、後年、アデールは自分が1892年8月にサトリ(Satory)でアヴィオンII号によって200ヤードの飛行をしていた、と主張した。 アデールの研究成果は陸軍省長官シャルル・ド・フレシネの興味を惹いた。フランス陸軍省の支援を受け、アデールはアヴィオンIII号を開発した。それはリンネルと木で出来た巨大なコウモリのような機体で、翼幅は16ヤード、四枚羽の牽引式プロペラ二つを、30馬力の蒸気機関二つで駆動した。地上滑走テストを充分に行なった後、アデールはサトリで飛行を試みた(1897年10月14日)。目撃者の中には、アヴィオンが前進し、空に向けて飛び立ち、そして(公式な就役の前には)300ヤード以上を飛行したと断言する者もいる一方、アヴィオンIII号は離陸すらしないうちに壊れたと断言する者もいる。いずれにせよ、軍はこの試験に失望して資金援助を打ち切った(とはいえ結果を機密のままに保持はした)。ライト兄弟が飛行を成し遂げた後、フランス政府はアデールの飛行に関する情報を、成功していたものとして公開した。 なお「飛行機」を意味するフランス語 avion (アヴィオン)は、彼の試作機に由来する。
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