アントワネット IV
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 03:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アントワネット IV(フランス語:Antoinette IV)は、フランスの初期の航空機である。アントワネット社のレオン・ルババッスール (Léon Levavasseur) によって設計された。(失敗はしたものの)ドーバー海峡横断飛行への挑戦ほか、いくつかの記録飛行によって有名。それまで設計上の試行錯誤を続けていたアントワネット社の一つの完成形として、その後の同社の単葉機シリーズの原型となった。
概要
極めて狭い三角形断面の胴体に直線テーパーの主翼、十字型の尾翼を付けた単葉機である。機体と同じくルババッスール設計のV8エンジンに、パドル型のプロペラを牽引式に装備。エンジンは水冷で、胴体前半側部に長いスノコ状の冷却装置を配置していた。横安定のため、主翼に上反角を付けている点でも最初期の機体であった。操縦は最初翼端に付けた大きな補助翼で行う設計であったが、後に翼たわみ方式にかえられた。また操縦装置はその後一般的になった操縦桿ではなく、胴体左右に、それぞれ補助翼(もしくはたわみ翼)と昇降舵を操作する操縦輪を備えていた。
1908年秋に初飛行を果たした後に改良を重ね、1909年2月19日にはムルメロン・ル・グラン(Mourmelon-le-Grand)で5 kmの飛行に成功した。同じ年の7月19日にユーベル・ラタムの操縦で、英デイリー・メール紙が1,000ポンドの懸賞金を掛けていたドーバー海峡の横断飛行に挑戦した。ドーバー海峡最狭部の横断を目指し、カレー近郊のサンガットを出発したが、11 kmを飛んだ後にエンジン不調で不時着水した。大きな主翼の浮力により沈没は免れ、ラタムは機上で煙草を吸っているところをフランスの魚雷駆逐艦「アルポン(Harpon)」に救助された。ラタムは代替機のアントワネット VIIで再挑戦を試みたが、それより早く、7月25日のブレリオ XIに乗ったルイ・ブレリオが海峡横断を成功させ、アントワネット機とラタムはその栄冠を手にすることはできなかった。
しかし、その後のランスの飛行大会では、ラタムは再びアントワネット IVを駆って活躍。グランプリ・イベントでは2位に入賞、また8月26日には2時間17分をかけて154.6 kmを飛び、当時の距離飛行の世界記録を樹立した。
要目
- 乗員:1名
- 翼面積:30 m2
- エンジン:アントワネット V-8、50 馬力
参考文献
- 朝日新聞社編『世界の名機のコクピット2 W.W.1からベトナム戦まで』、朝日新聞社 1981
- K.マンソン『初期の飛行機』、鶴書房 1971
「アントワネット IV」の例文・使い方・用例・文例
- ルイ16世の妻,マリー・アントワネット王妃
- 彼女はマリー・アントワネットの衣装をつけていた.
- 2002年に,マリー・アントワネットに関する新しい本が出版された。
- 「マリー・アントワネットが成長し,おとなになっていくのを見守りながら,彼女の視点に立って物語を語りたかった。」と監督は話した。
- 14歳のマリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)はウィーンの自邸からヴェルサイユ宮殿へ連れて行かれる。
- フランス王妃であり「ベルサイユのばら」の主人公の1人でもあるマリー・アントワネットはプチトリアノンを愛していた。
- マリー・アントワネットが書いた曲など6曲を歌った後,池田さんは「私にとってここで歌うことは本当にすばらしいこと。こんなことをするほど勇気があるとは自分でも驚いている。」と話した。
- その患者はHIVウイルスを持っている
- エイズはHIVウイルスが原因だという学説
- HIV感染を確認するテスト
- 抗レトロウイルス剤はパートナーへのHIV感染リスクを低下させるのに役立つかもしれない。
- 彼はHIV陽性患者のための心理教育的セミナーに登録した。
- 潜在的にHIVに感染した細胞
- HIV抗体陽性
- HIVテストは陰性だった
- HIVウイルスの血液の検査をする
- 彼女はHIV陽性であることが判明した
- 彼はHIVの検査で陽性と出た
- 非ヌクレオシド逆転写酵素抑制剤(商標名レスクリプター)で、エイズとHIVの治療に使用する
固有名詞の分類
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