アルフレド・ストロエスネルとラ・コルメナの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 09:36 UTC 版)
「ラ・コルメナ」の記事における「アルフレド・ストロエスネルとラ・コルメナの関係」の解説
1954年から1989年までパラグアイ大統領を務めたアルフレド・ストロエスネルは、ラ・コルメナをかなりの頻度で訪問しており、主要な訪問暦だけでも、1955年11月5日に運動会に参加、1966年9月9日にパラグアイ日本人移住30周年式典に出席、1972年11月にアグスティーナ・ミランダ高等学校開校式に出席(以降1988年度まで毎年12月卒業式・生産物品評会に出席)、1976年1月21日に農業協同組合の新事務所竣工式に出席、1976年にパラグアイ日本人移住40周年式典に参加、1981年に農村電化点灯式に出席している。1955年11月5日の最初のラ・コルメナ訪問時は記念に運動会が開催され、ストロエスネルも日系子弟と共に参加し、その友好的な態度を露にした。また、ラ・コルメナ訪問の折には野球観戦を好んだという。ラ・コルメナの代名詞の一つである「Capital de La Fruta フルーツの都」という愛称もストロエスネルによって命名されており、ストロエスネルから日系社会が受けた政治的便宜は一般公開されていないが、訪問歴から鑑みるに相当の配慮があったものと推測されている。
※この「アルフレド・ストロエスネルとラ・コルメナの関係」の解説は、「ラ・コルメナ」の解説の一部です。
「アルフレド・ストロエスネルとラ・コルメナの関係」を含む「ラ・コルメナ」の記事については、「ラ・コルメナ」の概要を参照ください。
- アルフレド・ストロエスネルとラ・コルメナの関係のページへのリンク