アルフレッド大王の勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 23:22 UTC 版)
アッサーによれば、マーシアで別れたもう一方の軍団を率いたのはグズルム(英語版)、オスケテル、アンウェンドだった。この軍団も874年にレプトンを発ち、ケンブリッジに基地をつくって越冬した。875年の後半にはウェアラム(英語版)へ移動し、この一帯を略奪したのち占領し、要塞を確保した。アッサーによれば、ここでアルフレッドはデーン人と和平を結び、彼らをウェセックスから退去させた。一旦はウェアラムを離れたものの、ヴァイキングは間もなく876年にウェセックスのエクセターに帰ってきた。しかし当初劣勢を強いられていたアルフレッドが持ち直し、878年にエサンドゥーンの戦い(英語版)でヴァイキングに対し決定的勝利を挙げた。アッサーによれば、この戦いの後にウェドモーアの和議が結ばれ、かつて七王国を中心に諸国が分立していたイングランドはアングロサクソン人のウェセックス王国とヴァイキングの支配地域に2分割された。また、グズルムはキリスト教の洗礼を受けることに同意した。
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