アルバニア戦域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 10:12 UTC 版)
「バルカン戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「アルバニア戦域」の解説
詳細は「第一次世界大戦中のアルバニア(英語版)」を参照 イタリアは本格的な参戦前の1914年12月に、無政府状態となっていたアルバニア公国のヴロラ港を占領し、参戦後は1916年の秋から南アルバニアへとその支配地域を拡大した。イタリア軍は1916年にアルバニアの非正規兵を徴用し、イタリア兵と一緒に任務を与えた。さらに、連合軍司令部の許可を得て8月23日には北エピルス(英語版)を占拠し、中立の立場だったギリシャ軍をそこから撤退させた 。 1917年6月、イタリアは中央および南アルバニアを保護国とする宣言を出し、北部はセルビアとモンテネグロ王国の州として割り当てられた。1918年10月31日までには、フランスとイタリアはアルバニアからオーストリア・ハンガリー軍を追放した。 11月5日から6日には、イタリア軍がヴィス島やシベニク、ラストヴォ(英語版)などその他のダルマチア沿岸に到達したと報告された。11月中の終戦までに、イタリア軍はロンドン秘密協定によって保証されていたダルマチアの地域を支配下に入れ、11月17日にはリエカも占領した。この年にはエンリコ・ミロ(英語版)提督がイタリアのダルマチア州知事を自ら宣言している。イタリアの有名なファシストであったガブリエーレ・ダンヌンツィオもダルマチア占領を支持し、12月に軍艦でザダルへ向かった。
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