アルバニア学への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 02:44 UTC 版)
「フランツ・ノプシャ」の記事における「アルバニア学への貢献」の解説
ノプシャは生涯アルバニアに情熱を注ぎ続けた。そのきっかけは、最初の恋人とされるルイス・ドラシュコヴィッチ (Louis Drašković) からアルバニア山岳民族の物語を聞いたのが始まりであったという。ノプシャが生涯のうち発表したアルバニアに関する学術論文の数は50を超えるが、その対象はアルバニアの言語、伝承、民族学、歴史から、「カヌン (Kanun (Albania)) 」と呼ばれるアルバニアの慣習法(掟、社会規範)にまで及ぶなど、当時第一級のアルバニア専門家であった。 ノプシャの死後いくつかの重要な未公開手書き原稿が見つかっているが、中でもトリエステでのアルバニア会議 (Albanian Congress of Trieste) に参加した際の手記は歴史家の注目を集めた。アルバニアに関する学問的遺産は、高名なアルバニア学の専門家でノプシャの元同僚でもあるノルベルト・ヨークルに渡された。後にこれらはアルバニアの政治家、活動家であるミトハト・ベイ・フラシェリ (Mid'hat Bey Frashëri) の所有物となったが、フラシェリが国外へ逃れた際にエンヴェル・ホッジャ政権(アルバニア社会主義人民共和国)当局に没収された。結局ノプシャの手記、画図、完成原稿などはアルバニア国立図書館の所蔵となり、今も同図書館アルバニア学部門の中核を成している。
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