アリゾナ・メモリアル
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「アリゾナ (戦艦)」の記事における「アリゾナ・メモリアル」の解説
詳細は「アリゾナ記念館」を参照 「アリゾナ」は海軍から除籍されたが、「アリゾナ」及びその戦没した乗員を悼んで合衆国旗が「アリゾナ」のメインマストから伸びたポール上に掲げられ、真珠湾に残っている。1950年3月7日、アーサー・W・ラドフォード提督(当時の太平洋艦隊司令長官)は「アリゾナ」の残骸の上に国旗を掲揚することを命じた。また、アイゼンハワー大統領とケネディ大統領の任期の間に政府は「アリゾナ」の残骸を国定慰霊碑にすることを決定し、1962年5月30日に正式に指定された。 アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。「アリゾナ」の上部構造及び主砲塔四基のうち三基は撤去されたが、一基の主砲塔リングは現在も水面下に確認できる。追悼式が毎年生存者も参加して行われている。海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して敬礼を行っている。 「アリゾナ」の爆沈から78年が経過した2019年の現在も船体から油が漏れだし水面に浮かんでいる。一日あたり1クォートの油が漏れ続けている。乗組員達は最後の生存者が死ぬまで油は漏れ続けるだろうと語っている。海軍は湾の環境悪化を懸念して油の漏出対策を考慮している。 「アリゾナ」は第二次世界大戦の戦功により1個の従軍星章を受章した。アリゾナ・メモリアルは1966年10月15日に国家歴史登録財に登録された。艦自体は1989年5月5日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
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アリゾナ・メモリアル
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1950年3月7日、アーサー・W・ラドフォード提督(当時の太平洋艦隊司令長官)は「アリゾナ」の残骸の上に国旗を掲揚することを命じた。また、アイゼンハワー大統領とケネディ大統領の任期の間に政府はアリゾナの残骸を国定慰霊碑にすることを決定し、1962年5月30日に正式に指定された。 アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。「アリゾナ」の上部構造及び主砲塔4基のうち3基は撤去されたが、一基の主砲塔リングは現在も水面下に確認できる。追悼式が毎年生存者も参加して行われている。海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して敬礼を行っている。 2010年現在も船体から油が漏れだし水面に浮かんでいる。一日あたり1クォートの油が漏れ続けている。乗組員達は最後の生存者が死ぬまで油は漏れ続けるだろうと語っている。生存者の多くは、自らの死後火葬の上、遺灰を「アリゾナ」に撒いてもらうよう準備している。海軍は湾の環境悪化を懸念して油の漏出対策を考慮している。 アリゾナ・メモリアルは1966年10月15日に国家歴史登録財に登録された。艦自体は1989年5月5日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
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