アラビア語の変質とアル・アンダルス=アラビア語の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 02:09 UTC 版)
「アル・アンダルス=アラビア語」の記事における「アラビア語の変質とアル・アンダルス=アラビア語の成立」の解説
当初イベリア半島に入植したムスリムの数は、アラビア人、ベルベル人合わせて40,000人前後であり、イベリア全体の人口比からして微々たる物であった。その後も新たな移民がマグリブから渡来したが、元々の住民との人口比の格差はなお大きかった。 初期の移民たちは多くがベルベル人の男性であり、土着の女性と通婚したため、その次の世代は母親の母語であるロマンス語と父方の母語であるベルベル語を聞いて育った。また、ムスリム支配層の言語であるアラビア語や、旧体制下での教養語であるラテン語を学ぶようになるため、彼等の使用するアラビア語は自然とアラブ人支配者の用いるフスハーとは違ったものとなった。 さらにイスラム体制が確立するにつれ、元々の住民もイスラム教に改宗したり、または改宗しないまでも文化的にアラブ化してアラビア語を使用するようになった。彼等の母語はロマンス語であるため、母語の干渉によって崩れたアラビア語が用いられることとなる。イスラム化の進展に伴い、アラビア語は第二言語として、そして遂には母語としてイベリア半島の住民の間に広まったが、その過程で蒙った変化は大きなものだった。更にマグリブからの新たな移民は、フスハーが崩れたマグリブ=アラビア語を持ち込んだので、この言語変化は更に加速した。 こうして数世代を経ないうちに、ラテン語やロマンス語を初めとする諸々の言語の影響を強く受けた、独特のアル・アンダルス=アラビア語が成立した。
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