アメリカ視察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:49 UTC 版)
追放中から取り組んだのが外国会社の研究である。「会社経営と株主報告。米国及び欧州の実例」(昭和28年刊)という著作になっている。米国、ヨーロッパの企業から会社案内や株主報告書などを取り寄せ、一社一社分析し、記事にしてダイヤモンドに掲載した。昭和25年に日本の商法がアメリカ流になるということから、著名な企業を日本の読者に紹介したのである。 昭和28年、71歳の時アメリカ視察に旅立つ。30人の旅行団だった。社の五十嵐惣一と長男の石山四郎が同行している。行程75日、訪問した会社は46社、見学した工場は36に及ぶ。連日の過密スケージュールに耐え、その日のうちにホテルで原稿を書くという荘者にも及ばぬ努力を重ねた。現在、A5判300頁の著作「アメリカ印象記」に残っている。 石山は帰朝すると、すぐに社の幹部を集め、アメリカで見たもの、感じたことを伝え、社に応用することを訓示した。そして、昭和26年1月1日号のダイヤモンド誌に「アメリカ会社の決算報告」と題する連載記事をスタートさせている。その後「米国会社の株主報告」とタイトルを替え、また「外国会社の株主報告」として昭和28年まで定期的に記事にしている。 この間、記者活動に加えて、昭和27年からラジオ放送の「経済観測」という番組に出演するようになった。ラジオ東京、NHK、ラジオ大阪などに出演、名士との対談や、株式観測の解説を放送している。また昭和30年代には、社外の新聞、雑誌、その他会報に記事を頼まれ、数多くの原稿執筆をしている。
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