アメリカ海軍と魚雷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:07 UTC 版)
アメリカ海軍が第二次世界大戦時に使用したMk13、Mk14、Mk15魚雷は当初性能が悪く、命中しても爆発しないことがたびたびあった。海軍に徴用された捕鯨母船「第三図南丸」は、1943年7月24日に米潜水艦「ティノサ」から12発の雷撃を受けたが、うち10発が不発であり、船体両舷に不発魚雷10発が突き刺さったままトラック島に曳航されてきた。その魚雷が突き刺さった様がかんざしを髪に差した花魁(おいらん)のようだったことから「花魁船」と言われた。また、潜水艦「タリビー」「タング」のように舵の故障により発射した魚雷が潜水艦自身に命中して沈没するという悲劇も生じた。しかし、大戦末期になるとアメリカ軍はこれらの欠点を克服したうえ、TNT火薬の1.6倍の破壊力をもつHBX爆薬による魚雷を用いるようになり、日本の船舶に大きな被害を与えた。 こうした通商破壊以外に、アメリカ海軍はトラック島空襲、レイテ沖海戦、坊ノ岬沖海戦などで雷撃を行い、多数の日本艦艇・船舶を撃沈した。 Mk24機雷など音響誘導式の魚雷も実用化された。また電波を使用する誘導魚雷も開発されたが、ナチスの妨害電波により命中率は低かった。
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