アメリカ合衆国におけるストリップ史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:09 UTC 版)
「ストリップ (性風俗)」の記事における「アメリカ合衆国におけるストリップ史」の解説
アメリカ合衆国のストリップは、移動式カーニバルや初期のバーレスクの劇場ではじまった。初期の代表的なストリッパーにはジプシー・ローズ・リー(Gypsy Rose Lee 1911/01/08 - 1970/04/26)やサリー・ランド(Sally Rand 1904/04/03 - 1979/08/31)がいる。空中ブランコ芸人だったシャーミオン(Charmion 1875/07/18 - 1949/02/06)は、1896年という早い時期に、空中ブランコの上で服を脱いでいくという見世物を行なった。その映像は、1901年にトマス・エジソンによって撮影された『Trapeze Disrobing Act』という作品に残されている。 現代的なストリップを含むアメリカン・バーレスクのもうひとつの一里塚と言えるのは、1925年4月に演じられた、伝説的な「ミンスキーのバーレスク」である。それはミンスキーブラザースによってニューヨーク42番街の劇場で上演された。このバーレスク劇場でのストリップの上演は、何度か警察沙汰になった後、当該劇場「グラインドハウス」の品位を低下させたとして、1937年に廃止された。 1960年代になって、ストリップは、トップレス・ゴーゴーダンスとして復活した。サンフランシスコ・ノースビーチにあったコンドルナイトクラブのダンサー、キャロル・ドーダ(Carol Doda 1937/08/29 -)が「最初にブラジャーを脱ぎ捨てたダンサー」として歴史に名を残している。コンドルナイトクラブは1964年にオープンしたが、ドーダのトップレスダンスショーは同年6月19日の夕刻にはじまったとされている。コンドルナイトクラブのショーは、1969年9月3日にランジェリーも脱ぎ捨てた。そして、この「全裸スタイル」は、アメリカ合衆国におけるストリップの主流となっていった。 サンフランシスコには、その筋では有名な「Mitchell Brothers O'Farrell Theatre」も存在していた。この劇場は、ラップダンス(英語版)をストリップに導入した先駆者であり、この流れは合衆国中に、さらには世界中に、広がっていった。
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