アメリカの台湾海峡「中立化」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:12 UTC 版)
「中台関係」の記事における「アメリカの台湾海峡「中立化」」の解説
人民解放軍の金門島上陸作戦では国民党軍が激戦の末に勝利し、金門島を死守した(1949年10月25日、古寧頭の戦い)ものの、国共内戦は台湾に退却した国民政府に不利な情勢が続いていた。1950年1月には国共の和平工作(双十協定)に失敗して国民党への援助を打ち切ったアメリカのトルーマン政権が台湾海峡に介入しないとする声明を発表。これに勢いづいた共産党中央は、人民解放軍に空軍、海軍を創設して台湾の武力解放作戦に向けた準備を本格化させ、まず海南島と浙江省沖・舟山群島を相次いで武力制圧した。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発。北朝鮮の進軍を「国際共産勢力の侵略」とみなしたトルーマン政権は、一転して台湾海峡に第七艦隊を派遣し、台湾海峡の中立化を宣言、「将来の台湾の地位は未定」と声明した(台湾地位未定論)。こうして、アメリカが米中全面戦争を恐れ、毛沢東政権による台湾侵攻と蔣介石政権による中国大陸反攻のいずれも認めない方針をとったことにより、共産党の台湾“解放”作戦は頓挫した。
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