アメリカにおけるダーウィニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 17:30 UTC 版)
「アメリカ合衆国の哲学」の記事における「アメリカにおけるダーウィニズム」の解説
チャールズ・ダーウィンが1859年に『種の起源』を出版して進化論を世に出したことは、アメリカ哲学に大きな衝撃を与えた。ジョン・フィスクやショーンシー・ライトはどちらも、進化論の眼鏡を通した哲学の再認識について著作を出し議論した。彼等はダーウィンが使った道徳性や心という言葉を理解しようとし、進化心理学や進化倫理学の先駆となった。 ダーウィンの生物学理論はイギリスの思想家ハーバート・スペンサーやアメリカの哲学者ウィリアム・グラハム・サムナーの社会学や政治哲学にも一体化された。「適者生存」という言葉を作った(別の者の発案とされることが多い)スペンサーは、社会が生存のための闘争にあり、社会の中の集団は適応の程度が違うためにそこに属していると考えた。この闘争は、長い目で見れば弱者が衰退し強者のみが生き残るので人類にとっては恩恵になる。この考え方はしばしば社会ダーウィニズムと呼ばれている。 スペンサーの影響を多く受けたサムナーは産業資本家のアンドリュー・カーネギーと共に、生存のための闘争という事実について社会が示唆することは、自由放任資本主義が自然の政治経済システムであり、最大量の福祉を生むことになるものだと考えた。サムナーはその自由市場を提唱したことに加え、反帝国主義(自民族中心主義という言葉を作ったとされる)を信奉し、金本位制を提唱した。
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