アナトーリイ・ドニェプロフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 作家 > 小説家・作家 > SF作家 > アナトーリイ・ドニェプロフの意味・解説 

アナトーリイ・ドニェプロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 15:59 UTC 版)

1940年代撮影

アナトーリイ・ドニェプロフロシア語Анато́лий Днепро́в;ラテン翻字例:Anatoliy Dnyeprov, 1919年11月17日 - 1975年)はソヴィエト連邦軍人、最終階級は大佐、退役後はSF作家として活動する。

略歴

本名、アナートリイ・ペトローヴィチ・ミツケーヴィチ(Анато́лий Петро́вич Мицке́вич)。ウクライナドニプロペトロウシクで生まれた。1941年モスクワ大学の物理学部を卒業。第二次世界大戦早期に志願兵として軍に入隊した。1942年2月から1943年7月にかけてはスタヴロポリの基地で外国語を学んだ。1943年8月からGRUに勤め、1944年8月からはイタリア侵攻に従軍し負傷、1945年からはイギリス、占領下のドイツスパイとして行動し、ドイツの降伏文書英語版の際、ゲオルギー・ジューコフの英語通訳兼上級中尉として同行する。1956年6月に退役後は物理学者SF作家として活動する。1975年、モスクワで没。

作品と作風

第一作は1958年に発表された[1]。作品はSFの中・短編が主体である[1]。ドニェプロフは、科学上の仮説を基にしたアイディアものや、現役の科学者らしい問題意識(科学者の倫理・責任、科学の発展の社会的影響など)に基づくテーマの作品を得意とした[1]。作風は時にユーモラスで、風刺的(反軍事的)な傾向を持った[1][2]ユーゴスラヴィア出身のSF批評家ダルコ・スーヴィン(Darko Suvin)は、彼をエフレーモフストルガツキーと共に現代ソ連SFの開拓者の一人である。」[2]より引用)と位置づけている。

"Уравнение Максвелла (1960)"(マックスウェル方程式)、"Формула бессмертия (1963)"(不死の公式)[注 1]、"Пурпурная мумия (1965)"(赤紫のミイラ)[注 2]、"Пророки (1971)"(預言者たち)など複数の個人短編集があるが、まとまった形での日本語訳はなされていない。アンソロジーや雑誌に収録された既訳作品としては、クローンを扱った「規格人間生産工場」、自己複製機械の暴走を通して科学者倫理を問う「蟹が島を行く」、モデル実験を通じて資本主義を否定する「私が消えた」など十数編がある。

脚注

  1. ^ 表題作は「人間の公式」として和訳あり。
  2. ^ 表題作は「むらさきの女」として和訳あり。

出典

  1. ^ a b c d 飯田規和編『世界SF全集33 - 世界のSF(短編集)ソ連東欧編』(早川書房、1971年初版)巻末解説
  2. ^ a b スーヴィン編『遥かな世界 果しなき海』(深見弾・関口時正訳、早川書房、1979年〈原書1970年〉)242頁

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アナトーリイ・ドニェプロフ」の関連用語

アナトーリイ・ドニェプロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アナトーリイ・ドニェプロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアナトーリイ・ドニェプロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS