アトレティコ・ジュニオール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 05:58 UTC 版)
ジュニオール | ||||
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原語表記 | Club Deportivo Popular Junior F.C.S.A. | |||
愛称 |
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クラブカラー | 赤・白 | |||
創設年 | 1924年 | |||
所属リーグ | コロンビアリーグ | |||
所属ディビジョン | カテゴリア・プリメーラA | |||
ホームタウン | バランキージャ | |||
ホームスタジアム | エスタディオ・メトロポリターノ・ロベルト・メレンデス | |||
収容人数 | 46,692[1] | |||
代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
クルブ・デポルティーボ・ポプラール・ジュニオールFC SA(Club Deportivo Popular Junior F.C. S.A.[2] (スペイン語発音: [ˈʝunjoɾ]))は、コロンビア第四の都市であるバランキージャを本拠地とするサッカークラブである。一般的には、2017年まで用いられていた名称であるアトレティコ・ジュニオール、都市名を加えたジュニオール・バランキージャ、または単にジュニオールと呼ばれる。
歴史
1924年8月7日に創設。コロンビアで3番目に古いサッカークラブとされている。1926年、地域リーグのリーガ・デ・フトボル・デル・アトランティコ(Liga de Fútbol del Atlántico)3部リーグに参加。3年後の1929年には1部リーグに昇格し、1932年に初優勝を遂げた。
1948年、この年から始まった国内プロサッカーリーグに参加。初年度はインデペンディエンテ・サンタフェに次ぐ2位であった。1970年は、1948年以来のリーグ2位となり、初めてコパ・リベルタドーレス出場権を獲得。1977年には、アルゼンチン人のフアン・ラモン・ベロンの活躍もありリーグ初優勝を遂げた。1990年代にはコロンビア代表カルロス・バルデラマを中心とした黄金時代を迎え、3年間で2回のリーグ優勝を経験した。
コパ・リベルタドーレスには1971年に初出場を果たした。同大会には2019年までに15回出場しており、最高位は1994年のベスト4である。
ライバル
ジュニオールのライバルは、バランキージャと同じくカリブ海に面したサンタ・マルタを本拠地とするウニオン・マグダレナである。両者の対戦はクラシコ・コステーニョ(Clásico Costeño、海岸ダービー)と呼ばれている。
タイトル
国内タイトル
- カテゴリア・プリメーラA:9回
- 1977, 1980, 1993, 1995, 2004-II, 2010-I, 2011-II, 2018-II, 2019-I
- コパ・コロンビア:2回
- 2015, 2017
- スーペルリーガ・コロンビアーナ:2回
- 2019, 2020
国際タイトル
- リーボック・カップ:1回
- 1997
地域タイトル(アマチュア)
- リーガ・デ・フトボル・デル・アトランティコ:1回
- 1932
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
アレクシス・ガルシア (2013)
ミゲル・アンヘル・ロペス (2013-2014)
ダビド・ピニージョス (2014)
フリオ・コメサーニャ (2014)
アレクシス・メンドーサ (2015-2016)
ジョヴァンニ・エルナンデス (2016)
アルベルト・ガメロ (2016-2017)
フリオ・コメサーニャ (2017)
アレクシス・メンドーサ (2017-2018)
フリオ・コメサーニャ (2018)
ルイス・フェルナンド・スアレス (2018-2019)
フリオ・コメサーニャ (2019-2020)
ルイス・アマラント・ペレア (2020-2021)
アルトゥーロ・レジェス (2021)
歴代所属選手
- GK
ジーダ 1966-1968
レネ・イギータ 2001-2002
セバスティアン・ビエラ 2011-
- DF
カルロス・イスチア 1984-1985, 1987-1989
エドガルド・バウサ 1983-1985
ロベルト・カルロス・コルテス 2008
- MF
カルロス・バルデラマ 1993-1995
ホルヘ・ボラーニョ 1993-1999
ジオバンニ・エルナンデス 2008-2012
- FW
ガリンシャ 1968
ネルソン・シルバ・パチェコ 1973-1976, 1978
フアン・ラモン・ベロン 1976-1977
イバン・レネ・バレンシアーノ 1993-1996, 2006
テオフィロ・グティエレス 2007-2009
脚注
- ^ “Periodista de EL HERALDO contó las sillas del Estadio Metropolitano”. 2019年11月20日閲覧。
- ^ “DIMAYOR Official Website”. 2013年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月23日閲覧。
- ^ “Junior de Barranquilla squad”. 2022年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月3日閲覧。
- ^ “Junior”. Dimayor. 2019年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月21日閲覧。
- ^ “Copa Libertadores”. 2020年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月23日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Junior - Dimayor
- Junior - FIFA
- Junior - Facebook
- Junior (@JuniorClubSA) - X(旧Twitter)
- Junior (@JuniorClubSA) - Instagram
- Fuerza Tiburona Supporter's Team Website
- Junior Pasion
アトレティコ・ジュニオール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:46 UTC 版)
「テオフィロ・グティエレス」の記事における「アトレティコ・ジュニオール」の解説
ジュニオールでの1年目は若さや経験値の低さ、ベテランのホルヘ・ディアス・モレノ(スペイン語版)、エルリー・アルカサル(スペイン語版)、そして年下ながら経験豊富なアルフレード・パンディージャ(スペイン語版)達とのポジション争いから、初年度は先発出場機会を得るのが困難であったが、そんな中で2007年9月2日のオンセ・カルダス戦で初得点を挙げ4-2と勝利した。 2008前期リーグでサンティアゴ・エスコバル(スペイン語版)監督が新たに就任するも、チームの残留争いや自身のパフォーマンスの低下からディアスやパンディージャが引き続き起用された。その後、エスコバル監督の後任にフリオ・コメサーニャ(スペイン語版)監督が就任するも、状況は変わらず1試合に出場したのみだった。2008後期リーグにはいると、それまで起用されていたアルカサル、ディアス、パンティージャ3名の低調さからエメルソン・アクーニャ(スペイン語版)と共にレギュラーを奪取し、さらにルイス・ヤネス(スペイン語版)とマルティン・アルスアガ(スペイン語版)が新戦力として加入した。すると、この半年間で11得点を挙げ、フレディ・モンテーロ、カルロス・キンテーロ(スペイン語版)に次ぐ得点ランキング3位タイ(アドリアン・ラモス、ミルトン・ロドリケス(スペイン語版)と同点)にランクインした。 2009前期リーグでは傑出した活躍を見せ、16得点を挙げて得点王に輝いた。プレーオフではククタ・デポルティーボFC戦でプロ初のハットトリックを達成し、エンビガドFC戦でもハットトリックを達成した。2009後期リーグでも好調さは続き、前期リーグ王者のオンセ・カルダス相手にハットトリックを決め、8日のボヤカ・チコFC戦で再びハットトリックを達成と計14得点を挙げ、18得点のジャクソン・マルティネスに次ぐ得点ランキング2位となった。2009年シーズンは前後期合わせて30得点を挙げ、IFFHSによってマルク・ヤンコ(レッドブル・ザルツブルク)、ディエゴ・フォルラン(アトレティコ・マドリード)、サミュエル・エトオ(FCバルセロナ / インテル)に次ぐ世界第4位の得点数と認められた。アトレティコ・ジュニオールではリーグ戦計79試合に出場して42得点を挙げた。
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