アトランティック退社後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 14:43 UTC 版)
「ジョエル・ドーン」の記事における「アトランティック退社後」の解説
1974年にアトランティックを退社し、それ以後もレオン・レッドボーン(英語版)、アスリープ・アット・ザ・ホイール、ミンク・デヴィル(英語版)、ルー・ロウルズ他多数のアーティストの作品を手掛けた。とりわけ、ネヴィル・ブラザーズのアルバム『ファイヨー・オン・ザ・バイユー』(1981年)はドーンの自信作となり、ドーンは『ローリング・ストーン』誌において「レコード作りが終わった時に100パーセント満足するなんて、滅多にないことだよ。『ファイヨー・オン・ザ・バイユー』は私のキャリアの頂点だと感じた」とコメントしている。なお、ドーンはネヴィル・ブラザーズのメンバーのアーロン・ネヴィルを高く評価しており、ネヴィル、ダスティ・スプリングフィールド、フランキー・ヴァリの3人によるコラボレーション・アルバムも構想していたが、実現しなかった。 また、自身のレーベルも経営し、ジャズの旧譜のリイシューに力を入れた。1980年代以降はリイシュー関連の仕事が中心となるが、1990年代にもジュディ・コリンズ(英語版)、アルトゥーロ・サンドヴァル、レオン・パーカー(英語版)といった現役ミュージシャンの作品を手掛けた。1998年には、自身のレーベル「32レコード」から発売したジャズのコンピレーション・アルバム『Jazz for a Rainy Afternoon』が『ビルボード』のジャズ・アルバム・チャートで1位を獲得し、それを機に『Jazz for…』と呼ばれるコンピレーション・アルバムのシリーズを継続的に発売した。ドーンによれば、シリーズ全体の売り上げは1999年の時点で25万枚にも及んだという。 2005年には、息子のアダムと共同でワーデル・ケゼルグ・オーケストラによる「この素晴らしき世界」のカヴァー(チャリティ・アルバム『アワ・ニューオリンズ』に提供)をプロデュースした。 晩年は音楽ダウンロードを批判し、音楽業界に対して絶望感を抱いていたという。
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