アトランティック・レコードとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/09 04:20 UTC 版)
「ビッグ・ジョー・ターナー」の記事における「アトランティック・レコードとの出会い」の解説
1951年、カウント・ベイシー・オーケストラとアポロ・シアターで演奏している所をネスヒ、アーメット両名のアーティガン兄弟に注目され、アトランティック・レコードと契約を結ぶ。そこで彼は数々のヒットを飛ばす。 ヴァン・'ピアノ・マン'・ウォールズ・アンド・ヒズ・オーケストラとタッグを組み、アトランティックでのデビュー・シングル、「チェインズ・オブ・ラヴ」をリリース。R&Bチャートの2位というスマッシュ・ヒットを記録する。 1954年、チャールズ・カルホーン作の「シェイク・ラトル・アンド・ロール」がR&Bチャートの1位を記録する。黒人だけでなく、10代の白人にも受け入れられる大ヒットとなった。すぐさまビル・ヘイリーがカバーし7位を記録する。 デビュー当時からスウィングしてブルースを歌うスタイルは一貫して変えていない。そしてそれはアトランティックにおいても同じだった。その後も「フリップ・フロップ・アンド・フライ」「ハイド・アンド・シーク」等をヒットさせている。1956年発売の「コリーニ・コリーナ」では、ポップチャートの41位を記録する。 しかし、1958年発売の「ジャンプ・フォー・ジョイ」を境に、ターナーはヒットが出せなくなる。
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