アッシリア帝国滅亡後のアッシリア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:24 UTC 版)
「アッシリア」の記事における「アッシリア帝国滅亡後のアッシリア人」の解説
ニネヴェなど、アッシリアの主要な都市の幾つかはアッシリア帝国滅亡時に破壊された。ヘロドトスの時代にはそこに住む者はいなかったという。だが、アッシリア人自体はある日突然絶滅するわけも無く、アッシュール神に対する祭祀も継続されたと考えられる。アッシリア人自身が支配者として君臨することはその後二度となかったが、アッシュールやシャルマヌ、ニヌルタなど、アッシリア人が好んで名前に使った神の名を持つ人名がその後も役人などの名前として記録されている。アケメネス朝からアルサケス朝時代にかけて、アッシリア人の多くはアッカド語(アッシリア語)ではなくアラム語を使用するようになったと考えられる。その後もアッシリア人と思われる人名がサーサーン朝時代にまで登場する。 だがこの生き残ったアッシリア人と、アッシリア人の末裔と主張するいわゆる現代アッシリア人の関係は必ずしも明白ではない。現代アッシリア人に限らず、中近東のキリスト教徒共同体は起源譚として古代オリエントの民族を持ち出す事が多い。古代オリエント世界の古典文学の多くが後代に受け継がれず土に埋もれていく中、アッシリア人の歴史の多くも人々から忘れ去られたが、旧約聖書やギリシア人達の記録によって僅かに後世に伝えられた。楔形文字の解読によって再びアッシリア人が歴史に大きく取り上げられるようになるのは19世紀以降のことである。
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