アッシリア帝国の成立
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「イラクの歴史」の記事における「アッシリア帝国の成立」の解説
詳細は「アッシリア」を参照 次にメソポタミアの支配者の座についたのはセム語派に属するアッシリア人だった。アッシリアはミタンニ王国の東に位置し、これまでミタンニ王国に支配されていた。アッシリアは、紀元前1340年頃ミタンニを破って事実上併合し、紀元前1235年頃バビロニアのカッシート王朝を打倒し、メソポタミアの支配を獲得した。 その後、反乱が起きてアッシリアの王朝はバビロニアから追われた。バビロニアにはイシン第2王朝(バビロン第4王朝)として知られる王朝が生まれた。この王朝の王の中では、エラムとの戦いで勝利を収めたネブカドネザル1世(紀元前1119年―紀元前1098年)について多くの文学作品が残されている。 紀元前10世紀頃、アッシリアは勢力を盛り返した。アッシリアの歴代の王は領土を拡大し、特に紀元前744年に即位したティグラト・ピレセル3世はバビロニアを含め周辺諸国を征服して領土を広げ、アッシリア帝国と呼ばれるようになった。
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