アッシリアの王都シュバト・エンリル
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「テル・レイラン」の記事における「アッシリアの王都シュバト・エンリル」の解説
アッシリア王シャムシ・アダド1世(紀元前1813年 - 紀元前1781年)が北メソポタミア一帯を征服したことにより、放棄されていたシェフナは再生した。シャムシ・アダド1世はこの地の農業生産力の豊かさに可能性を見出し、シェフナに自らの王国の首都を築いた。シェフナという地名は、アッカド語で「エンリル神の住まい」を意味するシュバト・エンリル(Shubat-Enlil、Šubat-Enlil)に改められた。街には王宮が築かれ、市門からまっすぐな舗装道路が神殿のあるアクロポリスに向かって伸びていた。また都市計画によって住宅地区が設けられ、街は完全に城壁で囲まれた。面積はおよそ90ヘクタールはあった。 シュバト・エンリルは、最盛期の人口は2万人を数えたとみられる。バビロンの王サムス・イルナが紀元前1726年に略奪をおこなうまでは繁栄したが、その後は栄華を取り戻すことはなく、ミタンニ王国に属するフルリ人の地方都市となった。
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