アイルランド自治法を阻止
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「ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「アイルランド自治法を阻止」の解説
第三次グラッドストン内閣は1886年4月8日にアイルランド自治法案を議会に提出した。ソールズベリー侯爵は「アイルランド人には二種類あり、一つは自治を解する者たちだが、もう一つはアフリカのホッテントット族やインドのヒンドゥー教徒と同類の自治能力のない連中である」と演説してこれに反対した。 アイルランド自治法案は自由党内でも反対論が根強く、ジョゼフ・チェンバレンら新急進派とハーティントン侯爵らホイッグ派が自由党を離党して自由統一党を結成するに至った。ヴィクトリア女王もアイルランド自治に反発して、ソールズベリー侯爵に自由党内反アイルランド自治派と連携して組閣の道を探れと内密に指示を出している。 6月8日の庶民院は、保守党、自由統一党、93名の自由党造反議員の反対により343票対313票で自治法案を否決した。これに対してグラッドストンは解散総選挙(英語版)に打って出た。この総選挙で保守党はランドルフ・チャーチル卿が中心となってイギリスとアイルランドを切り離そうという企みを批判するキャンペーンを展開した。その結果、保守党が316議席、自由党が196議席、自由統一党が74議席、アイルランド国民党85議席をそれぞれ獲得した。敗北したグラッドストン内閣は総辞職した。
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