アイルランド総督在任期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 07:13 UTC 版)
「サイモン・ハーコート (初代ハーコート伯爵)」の記事における「アイルランド総督在任期」の解説
1772年にパリから帰国すると、同年10月9日に第4代タウンゼンド子爵ジョージ・タウンゼンドの後任としてアイルランド総督に就任した。タウンゼンド子爵はアイルランド総督としてすこぶる不人気であり、ハーコート伯爵の着任は与野党ともに歓迎したという。アイルランドの国庫にある資金が少なくなっていたため、ハーコート伯爵は不在地主(absentee landlord)が受け取る地代に課税しようとしたが(税率は1割)、イングランドで大きな反対に遭った結果アイルランド議会でも否決された。アイルランド議会はさらにアイルランドに駐留していた4,000人の軍をほとんど全員アメリカ独立戦争のアメリカ戦線に派遣することを決議した。ハーコート伯爵の着任時点ですでに進んでいた汚職の問題は解決されず、逆に官職が新設され、閑職の俸給が上がり、年金を受け取る人数が増えたほか、与党多数を確保すべく18人が叙爵され、男爵7名が子爵に叙され、子爵5名が伯爵に叙されたという。やがてアイルランド軍総指揮官(英語版)サー・ジョン・アーウィン(英語版)との不和によりハーコート伯爵は1777年1月25日に辞任した。
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