アイルランド自治の決意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「アイルランド自治の決意」の解説
1885年6月に成立した第一次ソールズベリー侯爵内閣は、選挙管理内閣であったものの、アイルランド小作農に低利での土地購入費融資を行い、自作農への道を開くアシュボーン法を制定する業績を残した。 これを見てグラッドストンはいよいよアイルランド自治への決意を固めたという。グラッドストンは早くも1884年2月にはアイルランドに独立した議会を置くべきであると周囲に漏らしていた。だが自由党内でも地主貴族のホイッグ派を中心にアイルランド自治には反対論が根強かった。新急進派のチェンバレンも大英帝国の結合を弱めるものとして自治には反対しており、彼はその代わりに大幅な地方分権を主張していた。ホイッグ派はその地方分権論にさえ慎重だった。 ホイッグ派と同じく地主が多い保守党ももちろんアイルランド自治には反対する者が多かった。しかし今回のソールズベリー侯爵内閣では保守党とアイルランド国民党の結びつきが予想以上に強いと見て取ったグラッドストンは保守党政権がアイルランド自治法案を提出する可能性があり、自分と自分に従う自由党議員がそれに賛成票を投じれば通過させられると考えていた。しかし結局ソールズベリー侯爵にアイルランド自治の意思はなかったため、その計画は実現しなかった。 [先頭へ戻る]
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