アイランド・レコード時代
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「ボブ・マーリー」の記事における「アイランド・レコード時代」の解説
1972年、クリス・ブラックウェルのアイランド・レコードと契約、アルバムのレコーディングを開始。ブラックウェルは「レゲエのリズムよりもゆったりと漂う催眠的な雰囲気」を望み、ボブのミックスとアレンジを再構築。ボブはロンドンへ出向き、ジャマイカ音楽の低音が効いた重たいサウンドのミックスを調整し、2トラックを省略するなど、アルバムのオーバーダビングを監督した。 1973年春、メジャーデビューアルバム『Catch a Fire』を発表(「Concrete Jungle」「Slave Driver」「Stir It Up」「Kinky Reggae」「No More Trouble」)。この頃、トロージャン・レーベルからアルバム『African Herbsman』が発表された。5月、イギリスのラジオ番組「トップ・ギア」にて演奏。6月、厳格なラスタであるバニーは、適切な自然食をとることができないなどの理由からツアーへの不参加を表明。7月、バニーの代わりにジョー・ヒッグスを加え初のアメリカツアー。ニューヨークではブルース・スプリングスティーンの前座を務める。デビューアルバム発表から約半年後の10月19日、アルバム『Burnin'』を発表(「Get Up, Stand Up」「I Shot The Sheriff」「Burnin' And Lootin'」「Small Axe」「Rastaman Chant」など)。 1974年1月、新メンバーを迎えアルバム『Natty Dread』のレコーディングを開始。5月、マーヴィン・ゲイのジャマイカ公演でオリジナルウェイラーズが復活、最後の演奏。その直後タフ・ゴング・レーベルから発表した「Rebel Music (3 O'Clock Roadblock)」がヒット。7月、エリック・クラプトンが「I Shot The Sheriff」をカバーし、全米ビルボードチャート1位を獲得。10月25日、アルバム『Natty Dread』を発表(「Lively Up Yourself」「No Woman No Cry」「Them Belly Full (But We Hungry)」「Natty Dread」「Talkin' Blues」など)。
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